昨年の9月に88歳で亡くなっていたことが発表された「高見のっぽ」さん。
NHK教育テレビ「できるかな」で、ゴン太と一緒に「ノッポさんとして」一言もしゃべらずに当時の私達子供を楽しませてくれました。
改めて振り返ってみると、なぜノッポさんが喋らなかったのか気になりますよね。
前番組からの一貫したスタイルがあったようです。
「できるかな」でノッポさんが喋らない理由を調べてみました。
高見のっぽが「できるかな」を担当するまで
高見のっぽの経歴
高見のっぽさんの父親・嘉一さんも芸人として活躍していたそうで、チャーリー・チャップリンの物まねを得意としていたとのこと。
その父の姿を見て、高見のっぽさんも芸の道を志したということですから、パントマイム風の無声表現が得意なのも納得ですね。
25歳の時にバックダンサーとしてNHKに呼ばれたことをきっかけに、その番組プロデューサーに気に入られ、新番組の司会や構成、振り付け・作詞など、様々に活躍することになったとのこと。
高見のっぽが「なにしてあそぼう」を担当する
そんな何でも屋のような高見のっぽさんが32歳の時に任された番組が、「できるかな」の前身である「なにしてあそぼう」でした。
この番組で高見のっぽさんは構成アイディアの段階から任されて、
ミュージカル調のダンスや、パントマイムのみの無言で工作をする劇をやりながら、
キャラクターと掛け合うという「できるかな」のスタイルが既に出来上がっていたとのことでした。
▼1967年「なにしてあそぼう」の貴重映像がこちら
「自分を抜擢したということは、自由にやって良いということだ」と判断した高見のっぽさんは、
ご自身がメインで出演する番組の構成を考えた時に、
高見のっぽさんの得意なダンスとパントマイムを組み合わせた内容になったと考えられます。
このぬいぐるみはムーくん。めちゃくちゃ可愛いですね。
聞き覚えのある声だなと調べたら、声は松島みのりさんが担当されているようです。
「キン肉マン」のミートくんや、アニメ「ワンピース」の海軍中将つるの声を担当。
あー!なるほど!
「できるかな」が始まった当初は、高見のっぽは出演していない!
4年続いた「なにしてあそぼう」の後に始まった「できるかな」ですが、
番組開始当初はノッポさんは出演しておらず、男の子・女の子3人組が喋りながらお芝居をしていました!
しかし、番組に「高見のっぽさんの続投」を望む声が沢山届き、1年後からは高見のっぽさんが戻ったとのこと。
2年目以降は、「なにしてあそぼう」構成を踏襲した、私達のよく知る「喋らないノッポさんとゴン太」が活躍するあの「できるかな」に落ち着き、その後1970年から20年間もの間、子供達に愛される長寿番組になったのでした。
「できるかな」の開始当初にノッポさんが出てなかったこと、また子供達が普通に喋って工作していたことは、知らなかった方も多いのではないでしょうか。結構衝撃ですね!
「できるかな」はいつもぶっつけ本番!?
また、「できるかな」は事前に台本を用意せずに、即興で展開していったとのこと!
「ノッポさん」と「ゴン太」、天の声である「のこおねえさん」三者が火花を散らす、ガチンコ勝負だったようです。
実は、ノッポさんは手先が器用ではないらしく、セロテープなども上手く貼れずに「セロテープのノッポさん」という合言葉があったというくらいですから、意外ですね。
そんなノッポさんが工作を失敗してしまった時に、上手にやれたように声で拾えないと天の声である「のこおねえさん」に怒りのダメ出しをしていたそうです。
芸人として表現者として、失敗してもそうとは見せずに面白く着地させる術を知っている高見のっぽさんは、そのスキルを駆使して3人のチームワークを高めていたとのこと。
なかなかの緊張感。あの和やかな雰囲気からは想像できないくらい、裏では真剣勝負が繰り広げられていたんですね。
また、工作中に流れる音楽は15分と決まっているので、その間に終わらせなくてはいけないという縛りもあり、即興ミュージカルさながらの撮影風景だったようです。
【動画有】ノッポさんが喋らなかった理由→前番組から一貫したスタイルの訳 あとがき
もう50年ほど前の話になりますので、テレビ黎明期の何でもアリ感があって斬新ですよね。
「できるかな」を終了した高見のっぽさんは、放送作家や絵本・児童文学作家として絵本を執筆するなどマルチな活動をされています。
自伝なども出ているので、この機会に読んでみるのも良いですね。
▼高見のっぽさんの自伝。生い立ちや読書への情熱、不器用だからこその仕事への取り組み方などが興味深いです。
▼ノッポさんからの子供に対しての想いやメッセージが詰まった書籍も出ているようです。
かつて「小さい人」だった全ての人に読んでいただきたい一冊!とのこと。