市川猿翁(澤瀉屋 喜熨斗一族)家系図 顔写真付き|波乱万丈の人生

市川猿翁(澤瀉屋 喜熨斗一族)家系図 顔写真付き|波乱万丈の人生
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2023年9月15日、歌舞伎俳優の市川猿翁(本名:喜熨斗政彦)さんが、不整脈のため13日に亡くなったというニュースが入ってきました。享年83歳。

市川猿翁さんは「市川中車」の名でも活動する俳優の香川照之さんの父であり、将来を有望視される若手歌舞伎俳優「市川團子」さんの祖父にあたります。

現代的な音楽や照明を取り入れた「スーパー歌舞伎」の創始者として、歌舞伎界に新しい風を吹き込んだ市川猿翁さんでしたが、その華やかな舞台裏には、愛と苦悩に満ちた人生がありました。

この記事では、

  • 市川猿翁(澤瀉屋 喜熨斗一族)家系図 顔写真付き
  • 市川猿翁の波乱万丈の人生

上記をまとめてみました。

市川猿翁(澤瀉屋 喜熨斗一族)家系図 顔写真付き

市川猿翁さんを中心とした、澤瀉屋 喜熨斗一族の家系図は以下の通りです。

兄:2代目 市川猿翁

息子:9代目 市川中車(香川照之)

孫:5代目 市川團子

弟:4代目 市川段四郎

息子:4代目 市川猿之助

俳優でもある香川照之さんと、先日の事件を起こした市川猿之助さんは従兄ということになりますね。

筆者

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市川猿翁(澤瀉屋 喜熨斗一族)家系図 顔写真付き|波乱万丈の人生

市川猿翁さんは、1939年に三代目市川段四郎の長男として生まれました。7歳で初舞台を踏み、1963年に祖父の名を継いで三代目市川猿之助を襲名しました。しかし、その直後に祖父と父を相次いで亡くし、「梨園の孤児」となったのです。

市川猿翁と藤間紫の道ならぬ恋

そんな時、市川猿之助さんの心の支えとなったのが、日本舞踊家で女優の藤間紫さんでした。

▼若かりし頃の藤間紫さん

出典:紫派藤間流

藤間紫さんは、市川猿翁(当時:三代目市川猿之助)さんが12歳の時の初恋相手でしたが、16歳年上で既婚者・子持ち、しかも夫は自身の踊りの師匠である六世藤間勘十郎(二世藤間勘祖)という道ならぬ恋。

端から見るとドラマティックですが、現実はそう簡単ではありませんよね。

筆者

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浜木綿子と結婚し、子を設けるもすぐ離婚

市川猿翁(当時:三代目市川猿之助)さんは、藤間紫さんとの恋を諦めて、元宝塚歌劇団のトップ娘役で女優の浜木綿子さんと結婚します。

1965年に一人息子である香川照之さん(現在は九代目市川中車)が生まれましたが、浜木綿子さんとはすぐに別居し、1968年に離婚しました。

その原因は、やはり藤間紫さんとのこと。

市川猿翁(当時:三代目市川猿之助)さんと藤間紫さんは、一人息子が1歳を迎えた頃には家庭を捨てて駆け落ち同然で一緒になりました。

1985年(昭和60年)藤間紫さんと夫・六代目藤間勘十郎 (二世藤間勘祖)さんの離婚が成立しましたが、2人は結婚せずに15年も同棲生活を送り、2000年に2人は正式に結婚しました。

そんなにすぐ駆け落ち同然に一緒になるなら、なぜ浜木綿子と結婚したんだ!?という疑問が浮かびますよね。

筆者

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息子:香川照之との確執、和解

息子の香川照之さんは大学卒業後、1989年に俳優デビューしたことをきっかけに、25歳の頃思い立って市川猿翁(当時:三代目市川猿之助)さんの公演先へ会いに行っています。

その際、市川猿翁(当時:三代目市川猿之助)さんは「大事な公演の前にいきなり訪ねてくるとは、役者としての配慮が足りません」と香川照之さんを叱責。

「即ち、私は家庭と訣別した瞬間から蘇生したのです。だから今の僕とあなたとは何の関わりもない。あなたは息子ではありません。したがって僕はあなたの父でもない」

「あなたとは今後、二度と会う事はありません」

と完全に拒絶し、突き放しました。

後に市川猿翁(当時:三代目市川猿之助)さんはこの時の発言の真意について、

「生きるも死ぬも身一つで、僕はあえて一人でやってきました。だから、照之も役者の道を貫きたいと思うなら私の事を父と思うな、何ものにも耐えうる独立自尊の精神でいきなさいと。僕としてはごく当然のことを言ったつもりなのですよ」

と述懐していたとのこと。

「自分を捨てた父親のもとに勇気を出して会いに来た息子に対して、言葉が足らんわ!」という感想が…。

しかし、父親という立場よりも同じ俳優として伝えたいことが優先された事実に、市川猿翁さんの厳しさをより感じますね。

筆者

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息子・香川照之さんとも絶縁していた市川猿翁(当時:三代目市川猿之助)さんですが、1989年に香川照之さんが俳優デビューしたことをきっかけに親子の和解。仲を取り持ってくれたのは、藤間紫さんでした。

その後、和解が進み、2009年の藤間紫さんの葬儀には照之も親族として参列しています。

藤間紫さんは、香川照之さんを自分の息子のように可愛がっていたそうです。

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スーパー歌舞伎の発展と不遇の晩年

市川猿翁(当時:三代目市川猿之助)さんは現代的な音楽や照明を取り入れた「スーパー歌舞伎」の創始者として、歌舞伎界に新しい風を吹き込みました。

しかし、2003年に市川猿翁(当時:三代目市川猿之助)さんが脳梗塞を発症し、2009年に藤間紫さんが肝不全で亡くなるなど、その後は不遇が続きました。

市川猿翁(当時:三代目市川猿之助)さんは、2012年に二代目市川猿翁を襲名。
また、藤間紫さんの遺志を受け継いで、紫派藤間流の二代目家元として二代目藤間紫を名乗りました。

市川猿翁さんは、舞台に立つ機会は減りましたが、スーパー歌舞伎や自身の手がけた復活演目の演出面で活動を続けました。

そして、弟家族の一家心中という、記憶に新しい悲劇が…。

歌舞伎の伝統と革新を追求し、多くの名作を生み出して歌舞伎界に大きな足跡を残した市川猿翁さん。

その人生は、多くの苦難を乗り越えてきた波乱万丈なものでした。

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