松山ケンイチさん、長澤まさみさん主演で公開される映画「ロストケア」
原作は骨太な社会派本格ミステリー、作家・葉真中顕さんの小説「ロスト・ケア」ですが、出版されたのは10年前の2013年。
完全にフィクションとして執筆された小説でしたが、その10年の間に実際に「介護殺人」が複数件発生してしまい、
「実話を基にした話なのか?」
と事件と作品の関係性を連想してしまう人が増えました。
社会的メッセージを含む作品を映画化されるにあたって、出演者や監督には大きな課題と苦悩があったようです。
筆者も原作小説を読んで真っ先に思い浮かべる事件があったので、多くの方が関連性を考えてしまう点ですよね。
この記事では下記をまとめています。
- 松山ケンイチが語った演技の「課題」について
- 「ロストケア」とリンクしてしまう現実事件とは?
- 「ロストケア」と現実事件との違い
- 筆者の感想
▼筆者鑑賞後のネタバレ感想
映画「ロストケア」の予告
松山ケンイチが語った演技の「課題」について
映画「ロストケア」で斯波を演じた松山ケンイチさんは、この現実世界で起こった事件とのリンクについて、インタビューで「課題と苦悩」を語っています。
まず、斯波というキャラクターは、42人を殺害していますよね。
Yahoo!ニュース
これは原作通りなのですが、原作が発表されたのは10年前です。
その当時は、介護殺人がまだあまり表に出てきていませんでした。
その後、介護殺人の事件がいくつか起きてしまい、命の選別や優生思想が問題になったりもしましたが、それは障がい者だけではなくて、うば捨て山のような考え方も含まれているような気がします。
ただ、それは、僕らが『ロストケア』という作品を通して伝えたいことではなかったので、同じ殺人でも、これは全く違うというところを、演技で明確に表現しなければいけないという課題が新たに出てきたと思いました。
斯波の演じ方によっては、作品を通して伝えたいことを誤解されかねない。
ただでさえ難しい役柄に社会的な情勢での難易度が加わり、監督と一緒に非常に苦悩されたことも吐露されています。
もし、そういう事件が起こる前に、この作品がクランクインしていたら、また違う表現だったかもしれないと。 けれども、実際にそういう事件が起きてしまったので、それとは明らかに違うということを表現しなければならない。
そこはすごく悩みましたし、監督とも何度も話し合いました。とにかく、間違って伝えないようにしないといけないなと。
そこには誠実さがなければ伝わらないものもあるだろうと。誠実さと殺人者というところが、うまくリンクできればいいなと思いながらやっていました。~中略~
大友が、ただ「あなたは殺人犯です。サイコパスです」と切り捨てていたら、この話は成立しません。
Yahoo!ニュース
僕らは、互いに問答を繰り返しながら、「もしかすると、これは間違いなのか。それとも正しいのか」という揺れみたいなものを表現しなければなりませんでした。
それがある意味、この国をどうしていきたいのか、という未来の話をしている2人にもなると。
「誠実さ」と「殺人者」
相反する要素を斯波の中で両立させることが、この映画のメッセージを正確に伝えるための肝でした。
また、長澤まさみさん演じる「大友検事」は人間の“善性”を信じていて、法を順守する職業側もあり正しさを追求する信念を持っています。
しかし斯波の“正義”を目の当たりにして自分の正義や理想が果たして正しいのかと揺らいでいき、大友の心情に観客は感情移入して揺さぶられていきます。
どのような演技で引きつけてくれるくれるのか、非常に楽しみです。
映画「ロストケア」とリンクしてしまう現実事件とは?
やはり「要介護者の大量殺人」と聞いて思い浮かべるのは、
通称「津久井やまゆり園事件」
ではないでしょうか。
この事件の容疑者は「生産性のない人間は安楽死させた方がいい」「重度障害者は生きている意味がない」「時間とお金を奪われる可哀そうな家族を不幸から解放する」という持論を展開し、自分の行為の正当性を主張しました。
植松死刑囚の強烈な障害者差別と優生思想が、事件の根底にあります。
身体的、精神的に優れた能力を持つ遺伝子を保護し、相反して劣っている能力を持つ遺伝子を排除して、優秀な人類だけを後世に遺そうという思想。
人種差別や障害者差別を理論的に正当化することになったといわれる。
「ロストケア」と現実事件との違い
※小説や映画をまだ見ていない方はネタバレにご注意ください。
小説・映画「ロストケア」と、現実に起こった「相模原障害者施設殺傷事件」には非常に類似点が多いのですが、大きな違いは、
犯人の動機にあると考えます。
相模原障害者施設殺傷事件の犯人の動機
生産性がなく、家族や社会の大きな負担となる重度障害者は人間ではないので生きている意味がない。安楽死させた方が良い。
→障害者差別、命の選別を元とした優生思想
相模原障害者施設殺傷事件の植松死刑囚は、非常に饒舌に持論である「優勢思想」を強弁する割に、なぜその優勢思想を持ったかの経緯や背景を語っていません。
強い差別意識はもちろん「世界を裏で牛耳っているのは秘密結社イルミナティだ」という陰謀論に傾倒している一方、「横浜に原爆が落ちると『闇金ウシジマくん』に描いてあるから気を付けて」と漫画の内容を鵜呑みにするなど、正気とは思えない珍妙な思考や世界観を持っています。
また、弁護団が「責任能力なし」へ持って行こうとしたところ、植松死刑囚本人が「自分には責任能力がある」として拒否。
責任能力がないということは、自分が「人間ではない」として殺害した方々と同じ「心失者(植松死刑囚の造語。話せず意思の疎通が取れない人間を指すとのこと)」になってしまうという考えからでした。
時系列的に、小説「ロストケア」に触発されて犯行に及んだ可能性もありますが、小説のテーマである思想が植松死刑囚と真逆と言っていいものなので、仮に読んでいたとしても真似をしようとは思わないのではないかと感じます。
不要な内容を冗長に話し、事件の核心に触れる部分を覆い隠す巧みな心理戦でないのなら、荒唐無稽で特異な考え方の持ち主と言えそうです。
ロストケア 犯人の動機
社会の穴に落ちてしまった要介護者、それを支える家族を救済する唯一の方法としての殺人。
→ロストケア(喪失の介護)という介護の一種。
ロストケアの犯人である斯波(しば)は、年の離れた父の介護を20代という若さで経験します。
脳梗塞で後遺症が残った斯波の父親の介護には経済的・肉体的・精神的に大きな負担になりました。
仕事もできず、貯蓄も底をついて生活保護の相談に行っても「働けるんだから頑張って」と追い返される。社会の穴の存在と、その穴に落ちてしまったことに気づいて絶望します。
一度落ちてしまえば容易に抜け出せず、1人で父親の介護を背負う4年間のストレスで、風貌は老人のように変化し、精神も破綻していきました。
重度の痴ほう症を患っていた父親が正気になったタイミングで「全てを忘れてしまうのが怖い。もう充分だ。お前のことを覚えているうちに、自分が人間であるうちに殺してくれ」と、斯波に依頼しました。
それを聞いた斯波は逡巡しながらも承諾し、
「自立できなくても、自我が失われても人間は人間。人間には守られる尊厳がある」
「生きているだけで尊厳が損なわれる状態なら、死を与えるべき」
との考えに至りました。
父親のが亡くなった後、嘱託殺人だと見抜かれなかったことから、
これは自分に与えられた使命だ。
苦しい時に自分がして欲しかったことを、今度は誰かにしてあげよう。
と考えた。これが斯波の動機です。
「ロストケア」と現実事件との動機の違いは “人間である定義と尊厳”
「要介護者の大量殺人」という結果は同じですが、両犯人にはその根源にある動機が対極にありました。
相模原障害者施設殺傷事件
生産性のない障害者は人間ではないから尊厳もない。社会や家族の負担になるだけだから安楽死させるべき。
ロストケア
全てのことに周囲の助けが必要で自立できなくても、認知症で自我が失われていても人間である。人間には守られるべき尊厳があり、生き長らえることで尊厳が損なわれるのであれば死を与えるべき。
斯波は介護利用者や家族に献身的に接し、慕われる介護士でした。
その点からも、斯波の殺人は彼の中では日々の業務と地続きの「介護行為」だったということが読み取れます。
「なぜ斯波は大量殺人を決行したのか」という経緯にはリアリティーがあり、現実社会にもリンクしていて非常に説得力と納得感があります。
斯波は決して特異で理解不能な存在ではなく、いつ自分も同じ境遇になるか分からない人物。
この点が、植松死刑囚と斯波の大きな違いだと考えます。
よって「殺人は決して許されることではない悪だ」という揺るぎない倫理観がありながらも、全てを知った観客は”何が善で何が悪なの”か判断できず、また現実世界にも起こりうる事件だとも思えて、思考のループに嵌っていくのだと思います。
その違いを観客に理解してもらえるように、斯波という人物に「誠実さ」を持たせる演技をする必要があると、松山ケンイチさんや前田監督は苦悩したのですね。
筆者の感想
筆者の感想はこちらに記載しています。
個人的な背景から感じたことですが、よろしければご覧ください。
▼小説「ロスト・ケア」は音で聴けるAudible版も出ています。検事と犯人の緊迫したやり取りをプロの朗読で聴くのも良いですよね。
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