お笑い芸人のやす子さん、その明るい笑顔の裏には波乱万丈な人生が隠されています。
極貧家庭での幼少期、児童養護施設での生活、そして自衛隊を経てお笑い芸人への道。
やす子さんの生い立ちは、決して裕福といえるものではなく、常に困難に見舞われていました。
そこから大逆転して売れっ子芸人になったやす子さん。
この記事では、やす子さんの生い立ちから現在の活躍まで、そしてそこから学べる人生の教訓について詳しくご紹介します。
やす子の生い立ちが壮絶で波乱万丈!貧困児童から売れっ子芸人へ
芸名 | やす子 |
本名 | 安井かのん |
生年月日 | 1998年9月2日 |
年齢 | 25歳(※2024年8月現在) |
血液型 | A型 |
出身地 | 山口県宇部市 |
所属事務所 | ソニー・ミュージックアーティスツ |
特技 | 射撃、水泳、柔道(黒帯) |
やす子さんの生い立ちは、まさに波乱万丈と言えるもの。
幼少期から貧困に苦しみ、児童養護施設での生活を経験した彼女の人生は、決して平坦なものではありませんでした。
しかし、そんな困難を乗り越え、今や人気お笑い芸人として活躍するやす子さんの生い立ちについて、詳しく見ていきましょう。
やす子は極貧家庭で育った
やす子さんは、生まれてすぐから経済的に厳しい環境で育ちました。
両親の離婚により、2歳の頃から母子家庭となり、母親とやす子さん、妹の3人で暮らすこととなります。
母親は昼夜問わず働いていたため、やす子さんは5歳年下の妹の面倒も見なければなりませんでした。
離婚により生活はさらに苦しくなっていき、家にはテレビも洗濯機もなく、食事も十分に取れない日々が続きました。
どのような理由で離婚に至ったかは分かりませんが、父親からの養育費は貰っていなかったのだろうと推察します。
- 家にはテレビも洗濯機もない
- 給食の残りを持ち帰って食べる
- 給食以外に食事を食べないが多かった
- 給食のない夏休みは地獄
- 50円のパンの耳を買ってどうにか空腹を凌いでいた
- 友達の家の水道で洗濯していた
- 学校の水道水をペットボトルに入れて持ち帰って食器を洗っていた
- 学費も払えず、遠足の費用などを先生に前借りしていた
小さな子供が妹と一緒に生き抜くために、様々な工夫をして極貧生活を乗り切っていたことを想像すると、やす子さんの幼少期は、本当に辛い日々だったと思います。
しかし、やすこさんは周りに自分がこのような極貧生活をしていると悟られないように、明るく振舞っていたといいます。
余計に健気で胸が締め付けられますね。
なぜ児童養護施設に?
やす子さんは中学生の頃から、「窮地に陥ると児童養護施設に保護してもらっていた」と話していました。
その後、経済状況の悪化により16歳からは本格的に児童養護施設で生活するようになったのです。
施設での生活について、やす子さんは以下のように語っています。
- 初めて3食食べられる安心感を得た
- 愛情に飢えている子供たちばかりだった
- 自分が誰かから気にかけてもらえることが嬉しかった
- パソコンやテレビの取り合いがあった
- 足りないものが多く、友達話が合わなかった
- 遊びに行くお金もなかった
毎日3食の食事にもありつけなかったやす子さんにとって、児童養護施設での生活は初めての安定した環境だったのかもしれません。
誰からも気にかけてもらえず、妹と生き抜くために必死で戦っていたやす子さんの大変さがにじみ出ていますね。
しかし、児童養護施設生活には同じような境遇の子供達との共同生活。
様々な課題があり、決して楽な日々ではなかったことがうかがえます。
やす子の昔の写真
やす子さんの昔の写真をSNSなどで公開した際には「かわいい」「今の面影がある」ととても好評です。
今のやす子さんも目が大きくカワイイ顔立ちをされていますが、当時から変わらずに可愛いですね。
高校時代のいじめ経験
やす子さん山口県立宇部中央高等学校を卒業されていますが、苦難は学校生活でも続きました。
高校時代のやす子さんはいじめの対象となり、孤立した日々を送ることになったのです。
そのきっかけはちょっとした一言。
ネチネチした言動をしていた女友達に「○○ちゃんって本当に女子だよね」と言ったやす子さん。
その言葉が反感を買って、仲間外れにされることに。
それだけでも充分ツライのに、事もあろうか学校の先生が「やす子さんが児童養護施設から高校に通っている」ことを他の生徒に話してしまいます。
このようなツライ経験は、やす子さんの心に深い傷を残したに違いありません。
- ちょっとした一言で仲間外れに
- トイレで一人で食事をしていた
- 図書室で過ごす時間が多かった
- 先生がやす子が児童養護施設で生活していることを他の生徒に話してしまう
しかし、やす子さんは柔道部に入部して努力を重ねて黒帯を取得するなど、努めて明るく過ごし前向きに生きる姿勢を失いませんでした。
自衛隊入隊から芸人への道
高校卒業後、18歳を過ぎると児童養護施設を退所しなくてはいけないことこから、やす子さんは経済的に自立するため「衣食住」が揃った職場を探していました。
「自衛隊」と「パチンコ屋」が候補に残り、パチンコ屋が不合格になったことから、自衛隊に入隊。
特に「日本を守る」などという志はなく「助けてくれ」という気持ちで逃げ込むような気持ちで入隊したといいます。
2017年に陸上自衛隊に入隊し、施設科に配属。そこでブルドーザーのオペレーターとして2年間ほど勤務しました。
やす子は自衛隊入隊で大きく変わる
やす子さんは、自衛隊に入る前は自信がなくて落ち込みやすい子だったそうです。
しかし、自衛隊に入ってから「目標に向かって頑張る力がついた」とやす子さんは言います。
自衛隊での生活は早朝に全員で10キロ走るそうですが、それだけでも大変なのにやす子さんは自由時間にもう10キロ走って、筋トレまでしていました。
そのような努力から、周りの人たちも認めてくれるようになりました。
やす子さんは、この経験から「頑張れば、夢はかなうかもしれない。目標に届くかもしれない」という大切なことを学び、大きく変わったと言います。
自衛隊での日々は、やす子さんの人生の土台になったんですね。
やす子は現在「即応予備自衛官」を務めている
また、現在は「即応予備自衛官」として、有事の際には出動することになっています。
陸上自衛隊において、有事の際に現職自衛官とともに任務につくことができる非常勤の特別職国家公務員。
他国での予備役に相当。
現役自衛官と即応予備自衛官は、ともに国家公務員であり、自衛隊の任務に従事する者ですが、身分や勤務形態に違いがあります。
現役自衛官と「即応予備自衛官」との大きな違いは、
「基本は民間の仕事や活動を優先し、必要に応じて招集される」という点です。
やす子さんの場合は、日常は芸能活動を優先し、「防衛招集命令や災害招集命令」などがあれば出頭する義務があります。
また、出頭した日から任務終了までの間は自衛官となり、その職務を遂行するのが「即応予備自衛官」の役割。
有事の時には、大きな防衛力が必要ですが、その防衛力を持つ人材を日頃から集めておくことは効率的ではありません。
普段は、必要最小限の防衛力で対応し、有事の時に急速に人員を集めることができる予備の防衛力として「即応予備自衛官」制度を取り入れているとのこと。
この「即応予備自衛官」として活動することに対して、やす子さんは、
「そうですね。一度部隊に足を入れると、仲間ができて。ノウハウがあるので、一般の人よりかは災害の時に役に立てるかなという思いで、ちょっとやっている」
と話しています。
そんな制度があるなんて筆者は今まで知りませんでしたが、国にとってとても大切な役割ということですね。
売れっ子になっても自衛隊として人の役に立ちたいと思っているやす子さんには、頭が下がりますね。
自衛隊の後、清掃員→お笑い芸人へ
やす子さんは2年間の自衛隊生活を経験した後、2019年に自衛官を退官。
東京に移り住み、半年ほど官公庁で清掃員として働いていました。
その後、自衛官時代の友人からの誘いがきっかけとなり、お笑いの道を歩み始めることになったとのことです。
友人と「新人類」というコンビを結成し、多くの芸能事務所に履歴書を送付しました。
その中からソニー・ミュージックアーティスツから返事があり、面接当日にすぐ所属が決定したというので、何か光るものがあったのでしょう。
ところが、事務所ライブの当日に相方が欠席するというハプニングが。
やす子さんは一時は諦めようとしたそうですが、急遽ネタを用意し、ピン芸人「やす子」として出演しました。
それ以降は、ピン芸人として活動を続け、自衛隊時代の経験を活かしたネタで注目を集めています。
2020年にはテレビ初出演を果たし、2021年1月1日放送の「ぐるナイおもしろ荘2021」では見事3位に選ばれるという快挙を成し遂げました。
やす子さんの明るい性格と人を笑わせる才能は、苦難を乗り越えてきた証なのでしょう。
やす子の家族関係
やす子さんの家族関係も、複雑な経緯を経ています。
両親の離婚や、母親との関係悪化など、多くの困難を経験してきました。
しかし、現在では家族との関係も少しずつ改善されているようです。
母親との関係改善
やす子さんと母親の関係は、「母親とは疎遠だった」「母に内緒で児童養護施設に保護を求めた」と話していることから、中学~高校時代は上手くいっていなかったのだろうなと推察します。
現在のやす子さんは「実際子供の頃は貧乏だけどとても楽しかったし、1人で育ててくれた母親には感謝しています。今はとても母と妹とも仲いいです」と答えていて、母親と旅行や美術館鑑賞などに出かけたことをSNSで報告しています。
やす子さんは、一人で育ててくれた母親に対して、今では感謝の気持ちを抱いているようです。
- 母親は昼夜問わず働いていたため疎遠
- 経済的な苦しさから関係が悪化
- 現在は感謝の気持ちを持っている
家族の絆は、時間をかけて少しずつ修復されているのかもしれません。
▼これはやす子さんがロン毛マダムにコスプレしたもの。もしかしたら母親に似ているかもしれませんね。
5歳年下の妹との絆
やす子さんには5歳年下の妹がいます。
幼い頃から苦労を共にしてきた二人は、非常に仲が良いようです。
50円の食パンで食いつないでいた夏休み、妹を喜ばせたいと食パンを油で揚げて砂糖をまぶしたお菓子を作ってあげたとのこと。
「お姉ちゃん美味しい」と喜ぶ妹の顔を見て、食は人を笑顔に元気にすることを実感したと話していました。
ある番組で20歳前後のアイドルの部屋を掃除するという企画があった際にも「同じ位の年の妹を持つ身として、放っておけない」と、足の踏み場のないような部屋をガシガシと片づけていました。
- 給食の残りを妹と分け合っていた
- 現在も仲良し関係を続けている
- 妹のプライバシーを守るため、詳細は明かしていない
やす子さんにとって妹の存在は、苦しい時期を乗り越える支えだったのかもしれません。
二人の絆は、困難な環境の中で育まれた強いものだと言えるでしょうね。
父親との23年ぶりの再会
やす子さんの父親は、彼女が2歳の頃に家を出て行き、長年音信不通でした。
2歳の頃に父親と別れて以来、23年間会うことがなかったそうです。
しかし、芸人としての活動が注目を集めたことで、思いがけず父親との再会が実現したのです。
やす子さんと父親が再会した経緯は、次のようなものでした。
- 2歳の時に父親と別離
- 23年間音信不通の状態が続く
- やす子がテレビ番組などで活躍し、知名度が上がる
- やす子の活躍を知った父親側から連絡が入る
- 関係者を通じて再会の場が設けられる
ある日、やす子さんのSNSにやす子さんが生まれた時間、日にちなどを知っている人物からリプライが来たとのこと。
それが長年会っていなかった父親だったことが分かり「自分のお父さんはいないと思って生きてきたので、ビックリしました。すごく」とやす子さんは心境を語っていました。
自分の家族はバラバラだったので、自分が繋ぎ留める役割ができたらいいなと考えていたというやす子さん。
その役割を果たせた部分は良かったなと思っているそうですが、一方で、やす子さんは複雑な思いもあると話しています。
父親にはまだ複雑な思いも
やす子さんは父親との再会後も、心の整理がついていないと語っています。
23年もの間会っていなかった父親との関係を、すぐに元通りにすることは難しいのでしょうね。
父親と長い別離期間があっただけでなく、その大半が厳しい極貧生活を強いられて辛い思いをしていたため、複雑な思いがあるのも当然です。
しかし、再会した父親との共通点の多さに、やす子さんは驚いたといいます。
- 父親も元自衛官だった
- 話し方や見た目が似ている
- 水泳や柔道をしていた点も共通
記憶にもないくらい父親のことを知らない状態なのに、その後選ぶものが同じというのも、何だか感慨深いですね。
「しゃべり方とか見た目とか、会ってなかったのに生き写しを見てるようで、血ってつながってるんだなぁって。自分を娘と思ってくれてる人がいるっていうのがうれしかったです」と語りました。
複雑な心境はすぐは解消されないと思いますが、やす子さんが自分のペースで、父親との関係を築いていけることを願います。
やす子の生い立ちは?父母親 兄弟など家族や昔の写真 なぜ児童養護施設に?など徹底調査 まとめ
やす子さんの生い立ちは、波乱万丈そのものでした。
極貧家庭での幼少期、児童養護施設での生活、いじめ経験など、多くの困難を経験してきました。
しかし、そんな逆境を乗り越え、今や人気お笑い芸人として活躍するやす子さんの姿は、私たちに多くの教訓を与えてくれます。
- 逆境を乗り越える強さ
- 明るく前向きに振舞うことの大切さ
- 家族との絆
- 受け入れる心
- 許す気持ち
筆者だったら、極貧の幼少期を過ごした後、両親と良好な関係を築けるか自信がありません。
やす子さんの生き方から、困難に直面したときに強く生き抜く力や、笑顔を絶やさない精神力、受け入れる心や許す気持ちの大切さを学ぶことができますね。